人生

今日は、亡き母のお誕生日です。

太陽のような母から学んだ事は、亡くなった今の方が、より深く魂に響いています。

自分の中の当たり前が無くなったからなのでしょうか。

意識をすれば生前よりも近くで、魂同士の会話が出来るような氣がしています。

見えない世界、見える世界…

生きることは不思議で、未知で、魅力的ですね。

最近、これまでの人生を振り返る機会を頂きました。
色々な立場の体験をさせて頂けたのだと氣付きました。
未熟ながらも、人生でやりたい事がより明確になりました。

踊りと共に、今世があります。
今年、2020年は舞を始めて50年になります。
3歳からのバレエ。何故か東京の新体操のエリート校に入り、中学生からはオリンピックを目指すアスリートとなりました。負けず嫌いと弱音を吐けないつらい自分がありました。
高校一年生の時に、Wacoal Copという国際大会でJr.団体日本代表選手として出場させて頂きました。
なんと、当時の強豪ブルガリアチームを抑えて優勝する事が出来ました。これは今になると素晴らしい出来事なのですが、当時の私は表彰台で日本国旗が上がり、君が代が流れた時、「えっ?君が代…あんまり嬉しく無い…」と外方を向いて捻くれていました。
当時の私はインターハイでの優勝を目指していました。
大学でも踊りに恵まれた環境で、新体操の追求をしながら、その後は指導者になりました。
同じ年代のスポーツマンならお分かりかもしれませんが、当時は「水を飲むな」などのスパルタ教育や厳しい規則がありました。
そのせいか、舞のトラウマが自分を襲いました。PSTDにもなりました。でもそのおかげで、指導者になった時は、生徒の心に合わせた指導をしたくなりました。
人に相談して、助けてもらう有り難さも痛感しました。
過度のダイエットから摂取障害になりました。
結婚し、三人の子どもに恵まれました。出産は若い時代に酷使し過ぎた身体で、一人目は切迫流産の恐れから3ヶ月入院していました。産後も酷い腰痛に悩まされました。二人目、三人目は、直感で助産院で立ち合い出産する事を決めました。
家族の見守る中での歓びの出産でした。その時に、「生と死は祝福だ、両方の瞬間を、家族と共に迎えたい」と、感じました。
母になり私は、子ども達から宇宙から観た大きな愛と、信じる氣持ちを頂きました。
自分の癖で、いい母、いい妻になろうと自分軸が分からなかった時期がありました。そのおかげで、母の心地よさの必要性、重要性を、後から痛感しました。ネイティブアメリカンのサンダンスセレモニーで、3度ダンサーとして踊らせて頂いたのですが、だからこそ女性性と男性性のバランスを魂で再認識させて頂きました。ウーマンズセレモニーで現代社会のズレや、新しい社会の在り方に計り知れない叡智を学ばせて頂きました。

父の死、その後は母の心配や、子育てのプレッシャーから鬱病になりました。
娘の幼稚園のご縁から、新体操クラブを設立しました。
素晴らしいエネルギーの流れでした。経営者としての立場から、人の有り難さや、個性の素晴らしさが身に滲みました。
指導者として、現場で毎日命の輝きをサポートをしたいと、全力で向き合いました。
発表会、イベントプロデュース…
裏方として、多くを学ばせていただきました。
震災後は踊りから愛を世界に広げるチャリティープロジェクトを呼びかけ代表となりました。何もわからない私に、150人以上の仲間や尊敬する方々が、手弁当で一緒に活動してくださいました。歌を作り、踊りを作り、DVDを作り、その皆の愛は、今も世界に広がっています。
先日もアフリカの小学校からお礼の手紙が届きました。
ボランティアをやらせて頂く、互いの平等なる姿勢、自分が幸せでいる事、仕事を超えた大きな学びを教えて頂きました。

素晴らしい元夫との、長年の結婚生活でした。私の癖から、彼や子どもを全力でサポートしたいと合わせすぎていました。自分を変えようと努力しましたが、離婚の決断をする事になりました。離婚したら、何かが変わると信じて同じ家に住んでいましたが、状況は変わりませんでした。
子育ての中で、子どもへの不変の愛と信じる気持ちを確信して、家を出ました。あるものが全て無くなった孤独を感じました。それを選択した自分を問いましたが、私は自分の真理に従って、いつも素直でありました。
今は、あのような素晴らしい人と、出会えて、愛し合い、共に過ごせた家族の時間に心の底から感謝しています…
その頃、母が癌を患いました。
治療の選択などで、人を尊重する事を学びました。
母の死で人生どん底になった時、天から声が聞こえました。
「人生そんなに深刻になってもしょうがない…」その時、一筋の光が射しました。
その少し前に、私は究極に苦しくなりました。
泣き疲れて、しばらく放心状態でした。
その波紋の中から「踊ろう…」と、立ち上がりました。
音楽の中で私は踊り続けました。
そして、「人生で、舞だけがあればいい」と魂の中心で泣きながら決意しました。
「これからは神に舞を捧げたい」と…
そして、
母の死から2ヵ月後。
また、天から声が聞こえました。
「もう行きなさい」
これは、10年以上前から決めていた地球巡礼の事でした。
誰が決めたのかわからない条件がありました。
それは、一人で行く事。
理由は分かります。
異国の地で、子どものような何もわからない立場で、大地や人のエネルギーを丸ごと感じとる為です。
わかっていたのですが、マインドが不安になりました。友人にも励まされ、私は決心しました。
最初にどこへ行くかは決めていませんでした。
内観すると「赤い土」と言われました。そこはセドナだと、ゲストハウスのえりこさんに教えて頂きました。
ニューヨークで9.11に祈りを捧げて、その後、セドナへ約1ヵ月の旅に出ました。
セドナで、一人のミュージシャンに出会いました。彼はアメリカ人の写真家でした。神聖なる女性のヌード写真を芸術にしていました。
周りの方々と見せて頂いた時に、まだ公に公開されていない秘められた宇宙エネルギーのような高貴な光を感じました。
その後、どうやら彼が、私にモデル協力して欲しいと言っているようでした。私はその声を疑って、あちこち見渡しましたが、私しか、その場にいませんでした。
この事態を何度も天に問いましたが、一切返事をしてくれませんでした。
当時の私は48歳。
少し冷静になって頭を整理してみると、私はニューヨークの9.11メモリアルミュージアムで祈りを捧げた時に、社会状況の複雑さを目の当たりにしました。そして「神さま、私をお使いください…これからは自分の真理に従います」と誓っていたのでした。
そして、彼の神聖なる芸術。
これが宇宙の仕事だと言う事も直感でわかりました。
そして、頭はまだ悩んでいながらも、撮影の下見に行く時に、あまりのセドナの大自然の真っ直ぐなエネルギーが心地良く、ワクワクしている自分にも氣付きました。
そして、「サントーチ」と言う作品が生まれました。
セドナの小川で、夕陽の中撮影していたら、太陽がまるでトーチのように私の掌に重なった瞬間でした。

まさか、この後、この写真家Matthew Ericsonと将来結婚するなんて、全く思っていませんでした。

地球巡礼は続きました。
母なる心で、美しい国々のエネルギーと特色を受けとる事が出来ました。
修行癖のある私は、より喜んで自分軸で旅をするように心がけました。

世界各地で祈り人とアーティストに出会い、ご一緒に舞を奉納させて頂きました。
そのご縁から、世界に仕事で呼んで頂く運びとなりました。
世界中に、尊敬する友達が出来ました。

マシューの方は、幼少期からのPSTDや、いくつかの問題がありました。
巫女体質だった私は、氣になって再びアメリカに渡りました。
そして、何故だか、全ての作品を預かる事になりました。
時に私は、人に直ぐに信用されるようなところがあります。
でも、預けられても何も分からないし、責任が重すぎて正直心の中で「嫌だな…」と、思いました。
すると、天から「責任を持たなくていい。全て上でやる」と、言われました。
私は肩の荷が急に軽くなって、「何にもしない〜」と無責任に楽ちんでいる事にしました。

そして、日本でのイベントに出演していた時にマシューから皮膚癌になったと連絡が入りました。
結局、私たちは惹かれあい、一年後には、まさかの結婚をする事になりました。そして、日本の大地が地球にとって大切な場所であるし、娘達と一緒にいる時間を考えて、私たちは日本に住む事を決めました。

地球巡礼をしながら、日本では瀬織津姫さまのご縁を頂きました。
神社でのご奉納や、イベントでも舞う機会に恵まれています。
そして毎年2月22日は、私が大切にしている陰陽統合の感謝の祈りの日なのですが、2017年2月22日に私は天から啓示を受けました。偶然にも、その祈りの場にいらした、自動書記をされる女性から、「私が舞う時はヒミコが身体を使う。今までの全ての体験はこの日の為にあった」と、言われました。全く半信半疑だった私ですが、その他にも予言のようなお言葉を頂き、実際そのようになっています。でも、その時にご一緒に祈り合わせをしてくださった、全てに精通されている人格者の方から、「朝子さん…世の中には、色々な方がいる。話は半分くらいに聞いているといいですよ」と、ご助言くださいました。私も、殆どは忘れていますが、舞の時のスイッチや、舞っている時に自分を通るエネルギーの天からの感覚は言葉に出来ないものがあります。
不思議な事は、人生に沢山起こります。
マシューとの国際再婚は、日本の家族や友人を凍らせました。
いつも一緒にいる娘達は、私の素直さを理解してくれていますが、実の兄となると、少々難しいようでした。
まだ見ぬアメリカ人の、年上のアーティストが実家に住む。家族や地域の人々の誰からも尊敬されている温厚な兄からも「家族の縁を切るかもしれないから、覚えていろよな…」と言われました。
その時は驚きとショックに涙がでましたが、「愛から始まっているから、もう戻れないな…」と感じました。
今になるとわかりますが、夫婦として、鏡として、西洋と東洋の陰陽統合の長い道のりを察してくれてのアドバイスでした。
兄の大きな愛に包まれて、今、私たちは日本で生きていられるのだと痛感しています。
私は、本当に美しい周りの方々に恵まれた人生を歩んでいます。

結局、似た者同士の私達は、毎日、毎日が、激しい国際会議でした。分かち合い、愛し合い、高めあい、嵐のように濃縮された5年は、まるで500年だと感じる思いがあります。
マシューのおかげで私も自分軸を見つけられて、マシューも日本の皆様の愛から、固まった心が解けているように感じます。
きっと、地球に来る前の青写真で、このタイミングを決めてきたのかもしれません。

話がとても長くなりました。

他にも、あのサントーチの作品がマシューのアートショーで、一億円になったりと色々あるのですが、今の私は最高に幸せです。
そして、これからも生きる歓びや、地球の美しさ、私の感じてきた叡智を、お伝えさせて頂きたいのです。

今世の様々な体験から、少しは人の氣持ちを察する事が出来るようになりました。

私たちは自由意思があるし、人生あっという間ですし、後悔なく自分軸で、自由な無限の世界を皆さまと、ご一緒させて頂きたいのです。

神様は、全てを見ていらして、必ずサポートしてくださいます。

若い方々には、何も分からなくても直感を信じて素直に生きる大人を見て、少しでも氣軽になってもらえたら嬉しいです。

今まで、出逢ってくださった方々や先人の魂に教えて頂いた美しさを、感謝を込めて循環させて頂きたいと思っています。

人生はいつも「今から」です。

美しき皆さまと、踊って、歌って、創造して、ご一緒に地球の人生を謳歌させて頂きたいです。
これからも、共に私の知らない生きる歓びを、教えて頂きたいです。

最後までお読みくださいました皆さま、纏まりのない長い文章にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。

愛する母のお誕生日に、心から感謝がこみ上げてきました。

お母さん、いつもありがとう…

そして、お誕生日おめでとう!!

2020.1.28

TRIP BLOG

"I want to feel the Earth with my barefeet when a certain time comes..." That is what I thought in 2015 when I first started going around the world to pray.
I became friends with beautiful land, and met people with heartwarming souls.
"We are all one", that is what I felt as we all danced, prayed, laughed together, and it has already been 23 countries.
I will keep traveling all over the world to give a prayer of gratitude.
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