愛か分離

【瞑想の大切さ】

今から4年前の話になりますが、物の見方は、[愛か分離]のどちらかしかないと伺いました。

その時は

「え〜、、、そうなのかな、なんか真ん中とかありそうだけど、まだよくわからないなぁ…」と、未知の扉をゆっくり開けていきたいと観じていました。

そして今、あれから自分の心を内観していくと、本当にどちらからなのだと実感しています。

「私のあの態度が悪かったのかなぁ…」

「あの時の一言で私は傷ついた…」

「この社会のせいで私が犠牲になっている」

自分の人生を振り返っても分離した意識と罪悪感で、どれだけ自分自身を苦しめていたかよくわかります。

私たちの中にある自由意思を、分離(比較、判断、罪悪感、特別感など)ではなく愛(ワンネス、調和、感謝、永遠性など)へ、いつも向けていきたいと、心の底から思います。

知らず知らずのうちに反射的に、身を守って分離状態にいたりする私です。

モヤっとしたり、怒ったりした時は、外側(分離)へ向かってしまった意識を認めて、解放して、思考を置き換えられるチャンスなので、私も踏ん張り、信頼して天からの愛を受け止めていきたいです。

そして

ご縁をいただいております水の女神、瀬織津姫さまからも、

「ここに全てがある(愛)。皆、愛そのもの。苦しむ必要はない…、古い思い込みを外していく道がある。」とのお声をいただいております。

これは、全ての人が神の子であり霊的なご存在であることが前提ですが、良い悪いの3次元の地球の見方を越える、自由への道だと観じています。

長くなりましたが瞑想はその第一歩。

私たちが真の自分に向かう道であり、時空を超えた椅子に身を置く事だと観じています。

おかげさまで1月11日は、「マスミフトマニ道場開き」にて、横尾靖さまのお笛と共に、無事に奉納舞を納めることができました。

その中で、古代日本のヲシテ文字が描かれたフトマニ掛け軸を前に、会場の皆さまと15分間の瞑想のお時間がありました。

実は、「これから15分の瞑想をします。」と、いときょう先生が仰った時に(そうなんですね、、何かありそう、でも少し長め…)と、チラリと思ってしまいました。

ところが、フトマニを前に皆様と瞑想をしていくと、言葉には簡単に説明出来ないような感覚に移っていきました。

心が次第に鎮まり、最後には安心感やひとつの領域を満たされた心で観じていました。

最後の皆さまからのシェアからも、この瞑想の想定外の大きさや、素晴らしさをお聞きしました。

後から友人に教えていただいたのですが、瞑想を例えば2人でご一緒すると、二倍ではなく二乗になるそうです。

なるほど、そうだったのですね。

日本文化に宿る祈りの和紙が4層にも貼られたMUROの会場と、大勢の皆様とのフトマニ瞑想。

ほんとうに素晴らしい場に居させていただきました事に、心より感謝申し上げます。

いときょう先生、ご一緒してくださいました皆さま、スタッフの皆さま、マスミ東京代表 横尾靖さま、裕子さま、天の慈愛に、全ての生命の繋がりに、心より感謝申し上げます。

今年は月に1度の瞑想会があるそうです。ご案内のお写真もシェアさせていただきますね。

最後まで、お読みくださいました皆さま、ほんとうにありがとうございました。

Love &Peace ⁡Asako Amrita

いときょう先生より

https://www.facebook.com/share/15a4DYtuHb/?mibextid=wwXIfr

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"I want to feel the Earth with my barefeet when a certain time comes..." That is what I thought in 2015 when I first started going around the world to pray.
I became friends with beautiful land, and met people with heartwarming souls.
"We are all one", that is what I felt as we all danced, prayed, laughed together, and it has already been 23 countries.
I will keep traveling all over the world to give a prayer of gratitude.
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